
仕事の打ち合わせで大阪市内へ。
その前に時間があったので
梅田でCoccoのドキュメンタリー映画
「大丈夫であるように」を観る。 ( → 公式サイト )
大晦日、疲れ切っていたヨメさんが
すっかり気を取り直したように帰って来たので
さらに気になっていた映画。
監督は是枝裕和。
Coccoの人となりを確認するには
雑誌のインタビューくらいしかないのだが
文字では伝わりにくい、微妙なニュアンスが多くあって
今回の映画は、そういったストレスに応えた形となっていた。
とても言葉に表せないような感情が込み上げてきた。
(以下、内容を知りたくない方はご注意ください)
安直な表現だが
彼女の心の底から湧き起こる思いに根付いた行動は、
極めてジョンレノン的な博愛主義から起きている気がする。
家族への愛も、他人への愛、自然に対する感情も
すべて平等な対象として見なす、極めて純粋な活動。
だから、近くに不安があっても、遠くに心配事があっても
すべて彼女の中では、同じ感覚で捉えられる。
それだけにナーヴァスになることも多いだろう。
繊細なアンテナを持つ感覚と、感情の大きな振れ幅によって
そのまま「歌」となって生まれてくる姿を垣間見ることができた。
沖縄音階だけしか備わっていない歌のつくりに
沖縄人としての自覚が生まれているといった発言をしているあたりは
自身のアイデンティティーを感じさせる。
その一方で「沖縄の新聞は沖縄が主語になっていて、よそのことは知らなかった」という彼女の発言は
沖縄の人には誤解を招いてしまうような気もするが
まさにそれは、すべての人を思う気持ちから。
外の世界も知らないといけないとする、彼女の思いは
決してグローバルな見方なのではなく、極めて家族的な感情から起こるもの。
沖縄の親族、自分の子供(?)などと戯れる光景や
ライブ映像、海岸での行動などに
彼女の本当の言葉をナレーション代わりに巧みに重ねたことで
Coccoの生き様の輪郭が鮮やかに浮かび上がっていたのが印象的だった。
さすが、是枝監督といったところか。
最後の浜辺でのシーンは、ファンの手紙、イラストに、さらには自分の髪までも切って焼いてしまう。
いささか宗教的な儀式さえ匂わせて、人によっては理解しがたいような、ある種の怖さも感じる。
見事なクライマックスである。
しかし、その後、浜辺の短冊が何者かに焼かれてしまい、
彼女は拒食症で入院。
観る者が決して救われないところがまさにドキュメンタリー、そして終わらない旅の結末だった。。。
楽曲で個人的に嬉しかったのが「rainbow」。
以前から歌っている歌だけど、元々はDr.Strange Loveで長田進が歌っていた。
Twin Suns


ネギ坊の不在は悲しいけど、彼女自身が自分の歌を歌っていくにはやはり長田進だったんだろうか。
この辺りは(も?)単なる憶測でしかないけど、
こういったことも納得できる映画でもあった。
過去記事
http://stay.cocolog-nifty.com/undermyfeet/2007/08/post_a604.html
http://stay.cocolog-nifty.com/undermyfeet/2006/02/post_4c6d.html
休養は別の理由?だったのだろうか・・・。
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